ガンダム倫理はじめるよ①

 もうすぐ大学も卒業(明日卒業だったりする)。何かやり残したことはないかと思案してみたが…有り過ぎだった。とは言っても、だ。私の言う「やり残したこと」とは、「こういう生活したかったなぁ」というようなモノで、実際にやり残している事または感覚は大してない。ところで、ほとんど放ったらかし状態の本ブログであるのだが、大学卒業(妥協して三月までかな)までには本来の筋を通しておくべきじゃないかなって気がしてきた…いやそうするべきなんだよな。そんなこんなで、予てより宣言してきた卒論で勉強してきたことをここで書くことにします。(この文章を書いていたのは3月16日くらい)

 さて、そもそもこのブログの目的とは何だったのか。……ああ、そういえばガンダムを変わった視点から見ていこうとするものだったような(笑)。なんでこんなことしようとしたかと言うと、ただ単に大学二年は暇な時間を持て余していたことに由来する。俗に言うう大二病という奴だ(苦笑)。正直に言おう。暇がなきゃこんな面倒なことやらんw。案の定、大三になったら就活が始まって滅法暇がなくなり云々。忙しかった2012年の冬以降はほぼ更新ありませんね…(最近広告入れちゃったし)。「まぁ、twitterの方では忙しそうではなかっただろ?」という考えも出来ますが、面と向かってPCにて記事を書くほどの余力がなかったんです。…言い訳じみた懺悔はこれくらいにしてとっとと本題に入りますか。


 私が大学の卒業論文で扱ったテーマは生命倫理。皆さん、これがなんだか分かりますか?私としては高校の倫理の教科書(授業ではやりませんでしたが)にも載ってる訳だし、知ってて当然のことと思っていましたが、企業の面接官はおろか私の父(一応知ってそうな仕事)ですら「(?_?)」と目をキョとんとしていて驚く。世間一般だと案外分からないようですね。これは大学で倫理を専攻していたことからの感覚なのですが、日本の道徳教育があまりにもお粗末すぎて非常に残念です。いわゆる義務教育にて道徳があったのは私の場合小学校二年まででした。それ以外だと総合教育で少し有るくらいです。これはつまり、倫理を学ぶ場所が家庭とか共同体に依存する傾向が強いということです。故に、「知らない」という事態が起きるのではないでしょうか。…まぁ、これに関しては今回のお題ではないのでやめましょう。
 
 話が脱線しましたが、生命倫理とは大まかに言うと二つのことが言えそうです。一つは「生命の尊厳など自己決定を支柱とする」狭義の意味での生命倫理。例えば、「どう生きるのか」「生命の質(QOL)」などですね。高校の生命倫理もしくは保健授業は大抵こちらだと思います(確証はありません。)そしてもう一つは「社会制度」としての生命倫理。例えば「クローン人間は作って良いのか?」「遺伝子の研究」などが当てはまるでしょう。卒論はこちらの方が問題にあたります。このように生命倫理といっても問題は多いようです。卒業論文を執筆していた私自身、終盤になるにつれてこの生命倫理の範囲と意味に悩まされました。そもそも倫理と聞いて思いつくものは人それぞれ違う。このような生命倫理の扱う範囲などの問題については「だら~」っと卒論の中で述べています。詳しくはそちらで見ましょう。

 以上のように生命倫理についての説明を軽くしましたが、卒論にて私が問題提起したことは「遺伝子治療の是非」についてです。読んで字のごとく遺伝子治療をやって良いか悪いかの問題なのですが本質を簡単に説明しますと、医療(など)において新技術が生まれると大抵『倫理問題』が騒がれて反対意見が出ますよね。そのような反対意見は私たちが普段持っている曖昧な『倫理観』からのものや『将来的な危惧感(技術の悪用)』から来ているのではないかと私は考えた訳です。だとすれば、「解決手段は何か?」。「曖昧な倫理観から反対されて良いのか?」ということを問題に据えて考察してきました。

 …ところで、これがどうしてガンダムに繋がるのかといいますと、答えは単純です。いわゆる私はSEED世代(なんども本質は異なるとブログでは書きましたが)。コーディネーターとナチュラル問題を真に受けた私は今日までそれを引きずってきました。大学で哲学を専攻したのも案外そのためですね(いいんです!)。問題はガンダムのそれだけではありません。SF作品にありがちな倫理問題全般を考えることも出来るわけですね。つまり、卒論で勉強したことををここで発表することは本ブログの趣旨に沿う結果となるわけです。「…まさかブログのために卒論勉強したんじゃ?」・・・半分合ってます(笑)。前置きが長くなりすぎたので論文は一旦区切って次の記事でやります。
[ 2014/03/24 23:06 ] ガンダム ガンダム倫理 | TB(0) | CM(0)

卒論で・・・

 うちの学科では卒業論文が必修となっている。そろそろ、教授からのお声が掛かるって時期になってきた。で、最近・・・というより、このブログを設立した当初しかアニメ倫理なんて書いていない残念なブログになっている。しかも、核問題についてを感情論とも言える内容で書いた(若さゆえの過ちです)。まあ、ね。ガッコでやってる事をここでさらに書くなんてめんどくさくなってしまったんだよ。つーか、時間が無かった。

 しかし!いつかはこのブログでもちゃんとしたモノを書きたいと思っている。それでだ、俺の卒論研究は『生命倫理』について書こうと思っているんだが・・・その内容がファーストやZ、SEEDに被ったりするんだよね。つまり、強化人間だったり、クローン人間だったり、ナチュラルとジーンリッチ(コーディネーター)なんかの問題です。そいつの成果をこのブログで公開したいと考えていますw。

 因みに、現段階では『人体実験の是非』についての書籍を読んでいます(ツイッターで書いた)。まあ、あんまり大きい声じゃ言えませんが、ジャッポル(アルカナ・ファミリア)もアメロッパ(ロックマン)も酷い事してますねぇ。これを見るだけでも、扶桑(パンスト)が極悪非道なんて言えるのか疑わしくなります。

 まあ、さて置き、哲学に興味を持ったのはガンダムからだから頑張って書こうかななんて思ってます。もちろん、論文じゃガンダムの内容なんて書きませんがねw。でも、私なりに種死でデュランダルが説く『デスティニープラン』への明確な答えを出したいです。正直言って、キラの答えは嫌いです。尤も、現状じゃハッキリしませんが。

 さて、トミノと闘うのか、それともガンダムと闘うのか・・・?どちらにせよ、トミノさんとは本当に一度会ってお話してみたいです。裏技使えば行けなくもなさそうだけど・・・。 

 とりあえず卒論を書き始めたらこのカテゴリに書いていきたいと思います。

それでは。
[ 2012/12/01 23:19 ] ガンダム ガンダム倫理 | TB(0) | CM(0)

ソロモンよ!私は帰ってきた!!

ソロモンの悪夢3
 
 「多くの英霊達が無駄死にでなかった事の証の為に・・・」
 「再びジオンの理想をい掲げる為に・・・」
 「星の屑、成就の為に・・・」

 「ソロモンよ!私は帰ってきた!!」


ガンダムファンには有名すぎるワンシーンだ。ガンダム0083にて旧ジオン公国軍一派デラーズ・フリートが起した事件、通称デラーズ紛争にてアナベル・ガトー少佐が地球連邦軍観艦式に強襲。観艦式に出ていた艦隊の2/3を戦術核を用いて戦闘不能にさせた。


 さて随分待たせてしまったが「ギレンの野望が来る」の続きを書きたいと思う。約2週間の短い期間で出した結論であるので後々修正されていくであろう。これについては御了承願いたい。


 はじめに前回の問題を再度記載する。


 敵軍の策略によって我が軍の領土である地球が隕石落としで狙われている。現代の科学力よりも発達している未来では核兵器なんてものを使わなくとも超巨大隕石は破壊できるのであるが、あいにくそれは先ほどの戦闘において壊されてしまった。隕石を破壊する道具をもって援軍は向かっているのだが到底間に合わないだろう。このままでは地球が・・・。そうだ、核兵器を使おう・・・今なら敵軍もいないし人的被害は絶対にあり得ない。ただ一つ問題なのはこの時代核兵器を使うことはどんなことであっても敵味方構わず重罪にさせられる。いや、多くの人命がかかっているのだ。迷ってられない。
 さあ、どうする?

 文章が会話的表現なのは前回があまりお堅い文章にしたくないという方針で書いたためだ。しかしながら今回は大学でのレポート課題上達のために学術的な文章で書いてみたいと思う。ただし統計資料や文献資料からの引用などの根拠はない。あくまで個人の直感である。



 今回私自ら設問したテーマは「平和目的での核兵器の使用に関する倫理」である。今日、我々が平和目的での核兵器使用として捉えているのはおそらく冷戦時代から続く対抗手段としての核兵器であろう。しかしながら私が設問で取り上げた平和目的での核兵器使用とは、「人類の危機に直面した際、人命救助を目的とした核兵器の直接的使用は許されるのか]という倫理的問題である。

 問題文はギャレット・ハーディンが提唱した共有地の悲劇を下敷きにして創作したものである。それ故、少々与えられた条件は限定的でこの場合下せる答えとは3通り(2通り)であろう。核を使うか、使わないか。もしくは何もしないという選択もあるがこの場合使わないと選択した事と区別は難しい為に2通りが順当であろう。

 さて私が考えるには、ここで議論されなければならない問題とは実を言えば核兵器使用の有無ではないと考える。なぜなら両者共に善悪を抱えているからである。また功利主義的立場を取れば使用すると答える人が多いと予想されるためだ(ただし、科学的問題:例えば放射線問題を考慮する場合結論は二分されるかもしれない)。それ故、帰結主義的な回答を考えるよりも私は「人命救助において使われる兵器は兵器としてみなされるのか」を議論すべきであると考える。

 兵器とは何か。辞書的な意味合いでは[明鏡国語辞典]においては戦闘に使う機械、又[スーパー大辞林]には前述と似たような文に加え狭義には殺傷する機材と書かれている(・・・家に広辞苑がない為、いつか図書館で調べるw)。以上のことより兵器とは殺傷させる為の道具でもあるが広義では機材という意味でもある。要するに使い方次第であるという意味であろう。単純な話、ビルの解体に使われるダイナマイトは兵器として使えてもこの場合道具として扱われている。これは多くの人が認めるであろう事実だ。

 ならば核兵器に関しても同じことが言えるのか。私が考えるに、核兵器の道具的利用は局所的に言えば認められると思う。何故限定的にしたのかというと、それは核兵器の放射線問題があるからだ。現在も福島原発の周囲何kmかは放射線の問題で立ち入ることが出来ない。それ故現在ある原水爆などの副作用がある兵器の道具目的での利用は限定的でなくてはならない。余談であるが、宇宙空間での放射性物質の拡散は脅威になる。地球のように大気が存在しないため遮蔽物に当たるまでどこまでも拡散する。宇宙での核兵器使用もリスクがないわけではない。

 さて、私は核兵器の道具的利用を認めたのだが何故これが必要なのか。それは問題文に遡れば分かる通り「核兵器の持つ意味」を絶対悪にすることが私は正しいと思わないからだ。核兵器といえば、ヒロシマ・ナガサキ・戦争・黒い雨・放射線など悪いイメージしか抱かない。それは事実である。だが現実的に核兵器があれば人が救えたのにそのような悪いイメージの社会的風潮により核兵器を使用できず結果多くの人命が失われても「それは正しい判断」と言い切れるのであろうか。いや、「だったら私は使う」という人も出てくるだろう。しかし現実にはこのような危機的状況であっても人(例えば最終的判断を下すトップの人間)は非難される事を恐れてやらないのである。実際今日に至るまでそのような事件は起こらないが、このような結果になる事も十分あり得よう。

(ガンダムの中にあった具体的例を提示する。逆シャアより、アクシズを地球に落とす事を企てていたネオ・ジオン。それを阻止すべくロンド・ベルは立ち向かう訳であるが、所属する連邦軍からは殆ど援助を受けられずアクシズの地球降下を指をくわえて見ているどころか我先にとお偉いさん方は逃げ出していた。仮にここで核を渡すのはもちろん悪であるだろうが、何もしなかったという理由には南極条約が絡んでいたであろう。あくまで一例だが現実的にも日本のような非核三原則に縛られている国では十分あり得るのでは?強調するが、非核三原則を批判するわけではない。)

 現実的例えるなら、現在の日本の政治を見れば明らかである。最終的判断を下すトップが如何に無能であるか。いや無能というよりも優柔不断というのか。政治の話をしたらキリがないので止めるが、なぜ国は地方の為に金を回さないのかを見れば分かる。自分さえ良ければいいというのが国のトップの答えだからだ。スッカラ管は今までの政治判断に責任はないとまで言った。また、放射線問題も公表すればパニックになるという理由から公表を控える事さえしたのだ。ここまで言えば納得してもらえるだろうか。

 話はそれてしまったが、要するに一般常識が判断を止めてしまうのである(こういうときの言い回しを忘れてしまった・・・)。これこそ今回最も重要な点である。特に日本人はこういう事に疎い。それは哲学をしないからとも言われている。私の専攻は心理学ではないのだが、日本の心理学は西欧に比べてかなり遅れている。哲学もまたそれである。人々は本により知識を学ぶが、それは所詮考える為の道具なのであって答えではない。だからこそ私は今回「核兵器」という例をとってこの常識的観点から結論を導きだすことの危うさを今一度考えてもらいたいと思う。

 以上のことより、「平和目的での核兵器の使用に関する倫理」の倫理とは「核兵器」の持つタブー的な意味をどこまで認められるのかを考えねばならない。絶対悪などこの世に存在しない。絶対という言葉はそれ自身でパラドクスに陥るのだ。なにも常識が悪いという訳ではない。常識を疑わない事が悪なのだ。かつてデカルトは自身の持つ知識の正しさを知るために基礎の根底から学問を捉えなおした。デカルト程の事が出来るとは思えないが、常識を考え直す、制度を考え直す、間違いがなければそれで良い。考えることこそが重要なのである。

2011 9/9
[ 2011/09/05 22:06 ] ガンダム ガンダム倫理 | TB(0) | CM(0)

ギレンの野望が来る!!

 はい、皆さんこんばんは。明日は新ギレンの野望の発売日ですよねー。そんな訳でギレンの野望に関する話題から入りたいと思います。
 僕、追いつめられるといつも使っちゃうんですよ。06・・・、F型ではありませんC型です、C型!そう核装備のC型です。1ターンごとに非難の報告をセシリアさんから聞くたびに切なくなったなあ(確かそうじゃなかったかな?)そんな訳でガンダム世界における核の使用について考えてみたいと思います。

 核兵器は絶対悪だ!・・・という考えが世間一般的な考えですね。もちろん私自身もそうです。確かに兵器として利用するのであればそれは最悪の兵器であり、そこには「善」のかけらもないであろう。しかしガンダムの世界では命を救うために利用されたケースもあるのだ。ここに注目してほしいと私は思う。

 あらかじめ言っておくが、善(?)の行為であるから核兵器が許されるなどとは考えていない。あえて言わせてもらった。それではガンダムの世界でどのような善事で核兵器が使われたかを挙げてみよう。

 核兵器の使用目的についての善悪がはっきり分かるのは「逆襲のシャア」であろう。
 物語を簡単に説明しよう。UC0093、シャア率いるネオジオンは地球連邦政府との裏取引により資源衛星アクシズを手に入れる。そしてシャアはアクシズを地球に落下させ地球を寒冷化させる作戦を企てたのである。ここでシャアは資源衛星という質量兵器に加えて地球に核の冬を起させるために核兵器を使うのであった。そんなことをすれば地球に大量の放射線がばらまかれて死に至る。それを阻止すべく立ち向かうのがアムロ等がいるロンド・ベルである。以下省略・・・

 超簡潔にまとめすぎて分からない人は借りてきて観よう☆

 まあ、分かるように間接的であれ人殺しに使うのであるから間違いなく悪といえるでしょう。それに対してロンド・ベルはアクシズの破壊のために核を使った(分からない人は「ディープインパクト」「アルマゲドン」などを想像してくれ)。要するに多くの人命を助けるために核兵器を使ったのである。(似たようなケースとして∀ガンダムが月面に落下するミスルトゥを核を使い破壊した)

 今回一番考えたいのはここ。人命を助けるために核兵器を使うことは許されるのか、という問題です。まあ、地球で生活している限りそんな事は起こらないでしょうが将来宇宙に進出した際に何かを守るため核(兵器?)を使うことは正しいのかという事です(そういや思い出した。「ザ・コア」という映画では地球内部で核を使い地球を助けたっけか・・・)。

 もっとも、核に変わるものがある限りそれに越したことはないのですが。例えばガンダムの中でコロニーに接近する隕石を破壊するのはコロニーのレーザー砲です。核とレーザー砲ならどちらがマシかは明らかですよね。他にもDESTINYでは地球に落下するユニウスセブン(コロニー:確か大きさは8~12kmぐらい)をメテオブレイカーで破壊してます。
 


 という事で思考実験をしてみましょう。ここではあくまで核に代用するものがないとします。

 敵軍の策略によって我が軍の領土である地球が狙われている。現代の科学力よりも発達している未来では核兵器なんてものを使わなくとも超巨大隕石は破壊できるのであるが、あいにく先ほどの戦闘において壊されてしまった。隕石を破壊する道具をもって援軍は向かっているのだが到底間に合わないだろう。このままでは地球が・・・。そうだ、核兵器を使おう・・・今なら敵軍もいないし人的被害は絶対にあり得ない。ただ一つ問題なのはこの時代核兵器を使うことはどんなことであっても敵味方構わず重罪にさせられる。いや、多くの人命がかかっているのだ。迷ってられない。
 さあ、どうする?

・使う      ←?
・使わない    ←?

共有地の悲劇の提唱者であるギャレット・ハーディン的な問題にしてみました。

まだ私自身も明確な結論は出ていません。よってこの問題に対する私の考えは次回書きます。

それじゃ皆さん、また今度。
[ 2011/08/24 23:18 ] ガンダム ガンダム倫理 | TB(0) | CM(0)